清原亜希の実家は?母子家庭?母を亡くした過去も…元夫とは円満?

モデルとして美しい美貌とスタイルを維持している努力家の清原亜希さん。

華やかな人生を送ってきたように見えますが、実は母子家庭で母を亡くした過去があります。そんな清原亜希さんは、元プロ野球選手・清原和博さんと離婚してからの関係は円満なのでしょうか。

そこで今回は、清原亜希さんの実家や元夫・清原和博さんとの関係について調査しました。

清原亜希の実家は福井県福井市

清原亜希さんの実家は福井県福井市です!

ご本人も実家が福井であることを公表し、バラエティ番組などで「実家は福井です。」と発言。

福井の名物グルメであるソースカツ丼が好きで、Instagramや弁当レシピ本などで何度も紹介されていますね。

地元の中学を卒業後に上京し、多数の有名人が出身校である堀越学園へ入学しています。

上京した理由は、モデルになるという夢を叶えるためです。

清原亜希は母子家庭

1969年4月14日に福井県福井市で生まれ育った清原亜希さんは、父・母・兄の4人家族。

幼い頃に兄とよく喧嘩になっていたその理由は、「私が生意気だったから。」と清原亜希さんご本人が発言しています。

しかし、大人になってから兄弟関係はとても良好なようです。

父は家族のために建設関係のお仕事をしていましたが、ギャンブル依存症だったことが理由で、清原亜希さんが小学4年生の頃から母子家庭に。

母を亡くした過去

父がいなくても、明るい母のおかげで楽しく過ごすことができたそうです。

そして15歳の頃、福井県から上京する清原亜希さんの背中を押してくれたのも母の支えがあったからなのですね。

そんな明るくて優しい母が肝臓がんで55歳の若さで亡くなってしまったのは、清原亜希さんが33歳の頃。

その当時、長男を妊娠中だったため孫の顔を見せてあげることは叶えられませんでした。

「余命告知をしてあげられなかった。」とその当時を悔やんでいましたが、「母には感謝している。」と発言しています。

清原亜希と元夫(清原和博)は円満?

清原亜希さんと元夫との出会いは、清原和博さんが31歳の誕生日を迎えた日。

その後、交際に発展して2000年には結婚し、やがて長男と次男が誕生。しかし、2014年に離婚しています。親権を持ったのは、母である清原亜希さんでシングルマザーとして、2人の男の子を周りに頼りながらも立派に育ててきました。

離婚直後は不和だった

清原亜希さんの離婚理由は、元夫の女性問題と家庭内暴力があったと報道されているため、決して円満離婚だったとは言えません。もしかしたら、清原和博さんの薬物問題も関係しているかもしれませんね。少し前ですと沢尻エリカの事件が記憶に残っていますが芸能界では薬物で逮捕される人を頻繁に聞く気がします。

たまに離婚後も「清原亜希」として芸能活動していましたが、実際は「清原」の苗字を聞くのも嫌だったほどだったそうです。

そして2016年3月に「亜希」とモデル名を変えていますが、清原亜希さんは離婚後に息子達へ、「元夫の悪口を言うことはなかった。」と清原和博さんが証言していました。

円満になったきっかけ

清原亜希さんと元夫が再び円満になったのは、次男からの「お父さんと野球がしたい。」の一言がきっかけでした。そして次男と野球をする回数を重ねる度に、清原亜希さんも清原和博さんと顔を合わせるようになったそうです。

「結婚して子供が生まれて、たくさんの出来事があり離婚してしまったけど、今は”チーム清原”になった。」と明かしていました。清原亜希さんのこの発言から、清原和博さんとの関係が円満であることがわかるのではないでしょうか。

まとめ

福井県で生まれ育って15歳で上京し、その後にモデルとして芸能活動をスタートした清原亜希さんですが、母の死や離婚を経験しています。

悲しい経験を乗り越えたからこそ、カッコよくて美しい女性なのですね!今後清原亜希 再婚する可能性もゼロではないかもしれません。今後も清原亜希さんの活躍を応援しましょう。