日本フィギュア界を代表する、フィギュアスケート選手の高橋大輔さんは父親、母親、そして4人兄弟の末っ子として岡山県倉敷市で生まれ育ちました。
バンクーバーオリンピックでは銅メダルを獲得するなど、日本のフィギュアスケート界に大きな功績を残してきた高橋大輔選手。
そんな実力のある高橋大輔選手は、小さい頃からどのような環境で育ってきたのか気になりますよね。
この記事では、高橋大輔選手の父親や母親についてや兄弟、実家の事、プロフィールについてご紹介します。
高橋大輔の父親の職業はとび職で、母親は理容師!
高橋大輔選手の父親の職業はとび職で、名前は高橋粂男(くめお)さんです。
お父さんは、高橋選手のスケート靴を磨いたりするなど、高橋大輔選手がのびのびフィギュアスケートをできるよう支えていたようです。
とび職というと、運動神経やバランス感覚が問われる仕事ですよね。
高橋大輔選手のフィギュアスケートの才能は、父親から受け継いだ部分もあるのかもしれません。
また、母親の名前は清登(きよと)さんといいます。
高橋大輔選手の母親は、昼間、理容師として働き終えたあと、夜は深夜の12時まで弁当屋でパートとして働いていました。
スポーツの中でも特にお金がかかると言われているフィギュアスケート。
お母さんは、資金を工面するために仕事を掛け持ちをしていたのかもしれませんね。
高橋大輔は4人兄弟の末っ子!
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高橋大輔選手の兄弟は、一人っ子家庭の多い現代では珍しい、4人兄弟なんです。
高橋大輔選手はその兄弟の中の、末っ子として育ってきました。
高橋家は、あまり裕福ではなかったため、一日の食費は1,500円程度にまで切り詰められていたそうです。
しかし兄たちは弟を想い、誰一人として文句は言いませんでした。
弟想いの優しいお兄さん達の姿が目に浮かびますね!
高橋大輔選手の兄弟の名前や職業は分かりませんでしたが、子どものころは4人揃って少林寺拳法の教室に通っていたそうです。
しかし、3人の兄たちとは違い、1人少林寺拳法に馴染めなかった高橋大輔選手。
そんな高橋大輔選手がフィギュアスケートと出会ったのが小学校2年生の頃で、
自宅近くにスケートリンクが完成し、そこから高橋大輔選手のフィギュアスケート人生が始まったのです。
高橋大輔は実家に新築の豪邸をプレゼントした!
岡山県倉敷市に高橋大輔選手の実家はありますが、現在両親は新築の豪邸に住んでいます。
幼い頃、家賃3万7,000円の借家で暮らしていた高橋大輔選手は、自分を支えてくれた恩返しに、両親へ新築の豪邸をプレゼントしたのです。
新築の豪邸の総額はなんと7千万円!!
幼少期、家族一丸となって自分のフィギュアスケート人生を支えてくれた両親への最高の親孝行ですね。
ご両親も、息子がオリンピックでメダルを獲るまでに成長し、豪邸までプレゼントしてくれるとは、感無量だったでしょう!
高橋大輔のプロフィール
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高橋大輔(たかはし だいすけ)
- 生年月日:1986年3月16日(2020年現在 33歳)
- 出身地:岡山県倉敷市
- 血液型:A型
- 身長:165cm
- 体重:60kg
- 趣味:読書、買い物
1994年、8歳の頃からフィギュアスケートを始め、
2002年(16歳)世界ジュニア選手権では日本人男子初の優勝。
2010年(24歳)バンクーバーオリンピックでは日本人初となる銅メダルを獲得。
そして、2014年28歳で現役を引退しますが、4年後の2018年(31歳)に現役復帰を遂げます。
2020年現在(33歳)では、現役日本人男子スケーターでは過去最年長記録を更新しています。
2019年9月、村元哉中選手とアイスダンスカップルの結成を発表し、現在はフィギュアスケートシングルからアイスダンスへ転向しています。
2020年1月からはアメリカを拠点に移すことを公式サイトで発表しました。
●高橋大輔選手がアイスダンスに転向!・・・こちらの記事もご覧ください♪
高橋大輔がフィギュアで結果を残せたのは家族のおかげ! -まとめ-
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朝から夜遅くまで働く共働きの両親と、3人の兄と共に育った高橋大輔選手。
昔は、大会で着用する衣装は母親が試合の度に手作りしたり、父親がスケート靴のエッジを磨いたり・・・。
ご両親は、高橋大輔選手が最大限に力を発揮できるように、陰ながら支えていたんですね。
そんな両親の努力があって、高橋大輔選手が今でもフィギュアスケートで活躍しているわけです。
高橋家は、お世辞にも裕福とは言えない家庭でしたが、家族みんなの応援があったからこそ、こうしてフィギュアスケート界でたくさんの結果を残せたのかもしれませんね。
アイスダンスへと転向した高橋さんの今後からも目が離せません。