岸田首相の遠戚は原爆死していた…気になる家系図を徹底解説

2021年9月29日に行われた自民党総裁選の結果、決選投票を経て第27代総裁に選出された岸田首相。最近では物価上昇に対する政策などでその言動はより一層世間から注目を集めています。

今回は日本のトップとして政治を牽引する岸田首相について、ご本人を含めた家系図に迫っていきたいと思います。

岸田首相について

まずは今回家系図をみていくにあたって中心人物である岸田文雄についてみていきたいと思います。

岸田文雄は1957年7月29日生まれの66歳で、東京都渋谷区で生まれました。しかし、父の生まれなども影響もあり広島県に所縁があり、広島カープのファンであることがSNSでも発信されています。

高校は名門である開成高校に入学し、その後東京大学を目指して2年間の浪人の末、早稲田大学法学部に入学しました。早稲田大学を卒業後は日本長期信用金庫(現:SBI新生銀行)へ入行しました。日本長期信用金庫に約5年間務めたのち、父の背中を追う形で政治家になる決意を固めて父である岸田文武の秘書として活動を始めました。

その後1993年に第40回衆議院議員総選挙において旧広島1区から自由民主党公認で出馬し、初当選を果たします。引き続き政界での活躍をつづけ、2012年に発足した第二次安倍内閣では外務大臣として入閣し、中枢を担っていました。また、岸田文雄と安倍晋三は1993年に当選した同期であり、人間関係はかなり良好であったといいます。

総理大臣就任以降について

第二次安倍内閣に外務大臣として入閣後も防衛大臣を兼務したり、自由民主党政務調査会長に就任したりと存在感を増していきました。

そして2021年9月29日に行われた自民党総裁選の結果、第27代総裁に就任しました。就任後はコロナ禍に対する政策やウクライナへの訪問、バイデン大統領ら各国の首脳陣との電話会談を行い、幅広く総裁としての活躍を続けています。

岸田文雄 家系図について

ここから、気になる岸田文雄 家系図についてみていきたいと思います。

父:岸田文武について

岸田文雄の父である岸田文武は1979年の衆議院議員総選挙にて初当選を果たします。それ以降も5回当選を果たし様々な分野で日本政治に貢献していました。また、第2次中曽根内閣で総務政務次官、第3次中曽根内閣では文部政務次官として活躍しました。

生まれは広島市であり東京帝国大学へ進学したころは戦争末期であり、広島への原爆投下によって広島の自宅が被害に遭い、知人も命を失ったといいます。

母:岸田澄子について

岸田文雄の母である岸田澄子は岸田文武の妻として献身的にサポートをしていました。2020年5月1日に88歳という年齢で亡くなっています。

妻:岸田裕子について

岸田文雄の妻である岸田裕子は広島県の出身で、大学を卒業後はマツダに入社して役員秘書として勤めていました。岸田文雄とはお見合いで出会い、現在はファーストレディーとして岸田文雄をサポートしています。

岸田綾子、英治について

岸田綾子、英治は岸田文雄の親戚であり、2名とも広島に投下された原爆によって亡くなりました。それぞれ29歳と4歳という年齢でした。岸田文雄は2022年にも二人のお墓を訪れています。

宮沢喜一について

宮沢喜一は元総理大臣であり、岸田文雄の遠戚にあたります。この方は祖父である岸田正記の娘さんの結婚相手の父親です。間柄としては遠いですが、親戚であることは間違いありません。

最後に

今回は岸田文雄について、生まれから今までの経歴や岸田文雄 家系図について迫っていきました。父である岸田文武だけでなく、遠い親戚ですが宮沢喜一などとも関係があり、政界とつながりの強い一家であることが見て取れます。あわせて、親戚には原爆で亡くなった方もおり、改めて忘れてはいけない広島の歴史をうかがうきっかけにもなります。