宗佑磨はどこのハーフ?父やお母さんについて徹底調査!国籍は?

近年の野球は日本人が海外で活躍したり、海外の選手が日本で活躍したり、交換留学のような様相になっていますよね。そんな中でもさらに注目を浴びているのが、ハーフやクォーターの選手です。特に宗佑磨選手は、ハーフの野球選手の中でも、プロ7年目でようやく才能が開花した選手として注目を浴びています。そこで、この記事では宗佑磨選手がいったいどこのハーフなのか、また両親はどこの国の人なのか詳細な生い立ちなどを紹介しています。

宗佑磨はどこのハーフか調査した結果

宗佑磨の母親は純正の日本人ですが、父親がギニア人のハーフです。ギニアといえば野球よりもサッカーのほうが人気のスポーツとして知られていますが、宗佑磨が子供のころは身近なところにサッカークラブが無かったそうです。

そのため軟式野球倶楽部に入り、野球を始めたら野手と投手を兼任できる素晴らしい選手であることが周囲の注目を集めるきっかけになります。それからというもの、攻撃でも防御でも野球の才能を発揮し、高校のときには、1試合22奪三振を記録したことがあります。

宗佑磨の父親と母親の国籍はどこ?

宗佑磨の父親はギニア国籍で母親は日本国籍ですが、宗佑磨が1歳のころに離婚して、母親の元で育ったためハーフとはいえ父親のことは覚えていないようです。宗佑磨は育ててくれた母親のために野球を頑張っているようで、試合中何度も母親に向けて頑張るよーと声をかけている心温まる話が有名です。

しかし、頑張りすぎたことが影響しているのか、度々怪我に悩まされることも多く、高校野球では本塁打を量産する活躍を見せたものの、甲子園とは縁のない選手でした。その他、宗佑磨の両親のプロフィールは以下をご覧ください。

名前続柄職業
みか母親セラピスト
不明父親不明
宗佑磨息子野球選手

宗佑磨の母親が語る育児と勉強と仕事の両立とは

母親が1人で宗佑磨を育てられたのは、全て若い頃に積んだ経験が影響しているようです。20代の頃からフラメンコやサルサ歌手をする傍ら音楽事務所でプロモーションなどの仕事を担当していたことが始まりでした。そこから徐々にアフリカの太鼓音楽に魅了され、単身アフリカに渡り離婚した旦那と出会ったので、ある意味音楽が宗佑磨という野球選手をこの世に誕生させてくれたといっても過言ではありません。

ですがその後すぐに離婚、宗佑磨の母親は育児をしながら保険会社と食品会社で働き、将来のためにセラピストの勉強をしていたとのことです。

宗佑磨の強さを育てたのは母親の笑顔だった理由とは

宗佑磨の母親は、実家の協力もあって宗佑磨をすくすくと育てることに成功しましたが、やはりつらいこともあったそうです。しかし、そんな時は悲しそうな顔をしている宗佑磨の前で思いっきり笑顔になり、なんとか沈んだ心を明るくしてあげようとしていたらしいですよ。

もしかしたらそんな母親の優しさが、宗佑磨が試合中、母親を見つけると優しく声をかけてくれる選手に育てたのかもしれませんね。そんな宗佑磨の笑顔を見ると、つらいことがあっても息子だけは守って見せると奮い立つように仕事や勉強や育児を頑張ったそうですよ。宗佑磨は、父親がいないことやハーフであることを友達にからかわれたこともあったそうなので、母親の笑顔はかなり生きる原動力になったのではないでしょうか。

宗佑磨と父親は大人になってから会ったことがあるの?

宗佑磨と父親再会のエピソードは今回調査した中では見つかりませんでした。また、母親も父親に関することをインタビューでも語っていないので、恐らくかなり根深い問題なのでしょう。お子さんを作ってすぐに離婚するということはよほどの理由がなければありえないことです。

しかし、そんな母子家庭でも宗佑磨は寂しく感じたことはあまりないと応えていました。一番その要因になったのは、宗佑磨の母親が父親のようにも兄弟のようにも接してくれたからだそうです。口喧嘩することもあったそうですが、きっと父親がいなくても賑やかな生活だったのでしょう。

まとめ

宗佑磨は父親がギニア人、母親が日本人のハーフです。しかし、父親は宗佑磨が1歳のときに離婚しているため、母親とその親族に育てられました。小さいころから肌の色や父親がいないことでいじめられたりもしたそうですが、母親が父親と兄弟の役目もしてくれたので、寂しいと感じることはなかったそうです。こんな優しい選手なら、怪我にも負けずまたグラウンドで活躍する姿を1野球ファンとして見てみたいですね。